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2017.11.05 [インタビュー]
東京グランプリに輝いた意欲作『グレイン』が説明しようとしていること
グレイン
©2017 TIFF

eiga.com

東京国際映画祭公式インタビュー 2017年10月28日
コンペティション部門『グレイン
セミフ・カプランオール(監督)、ベッティーナ・ブロケンパー(プロデューサー)、ジャン=マルク・バール(俳優)

近未来。遺伝学者のエロールは、磁気壁に囲まれたセーフシティに暮らしていた。だが、その地での農業が遺伝子不全のために壊滅状態になり、危機的状況に。そんなとき、失踪した同僚の研究者が解決策の手がかりを握ると知り、エロールは彼を探す旅に出る。全編モノクロの退廃的なSF『グレイン』。トルコの映画作家セミフ・カプランオールが初めて挑んだSFは、消費社会に生きる現代人への警鐘を鳴らす問題作だ。作品のアイデア着想や撮影、現代社会へのメッセージを監督、プロデューサー、そして主演俳優に聞いた。

この作品は、今の一方方向だけである破壊について説明することにしました

――すごく難しい脚本を映像に収めましたね。この作品のアイデアの着想、制作のプロセスはどういったところからなんでしょうか?

セミフ・カプランオール監督(以下、カプランオール監督):私は2010~12年の2年間で、様々な大陸を回りました。アジアからオーストラリア、そしてアフリカ、アメリカなどです。1作前の「蜂蜜」が上映された映画祭もありましたので、それを機に世界を見て回ったんです。その際に感じたのは、世界はすごく“疲弊”していること。気候が変わり、様々な作物が被害を受け、資源や土地が無くなってしまいました。それは訪れた場所に住む人々が話していたことです。それを聞いて、ここで私が声をあげないわけにはいかないと強く感じました。というのも、多くの国で見聞きした問題は、同時に私の自国でも起きていることでもあったからです。そこで問題を提起する作品を作ろうと決意しました。
そしてそれをするからには、自分の文化と環境を使おうと思いました。創造されたものはすべて聖なるもの、神が作ったものになりますから、それらに対して我々は良い対応をしなくてはいけません。それを消費してしまったり、あるいは分割しバラバラにしてしまわないようにしなくてはなりません。そこで私は気付いたのです。もし私がこのままの暮らしを続けていると、環境の面でも、気候の面でも、そして心の内面、精神的な面でも恐ろしいことになってしまうのではないかと。そうしてこの映画は出来上がりました。

――近年のSFというと、通常はほとんどをスタジオで撮影しますよね。ロケ撮影はとても難しいジャンルだと思いますが、この作品ではほとんどをそれでこなしています。

ベッティーナ・ブロケンパー プロデューサー(以下、ブロケンパー):ロケーションのリサーチに関しては、監督が膨大な時間をかけて行い、ほぼ世界各地を歩き回ったといってもいいくらいでした。その旅の最後の方で訪れたアルゼンチンで、大変素晴らしい場所を見つけたのですが、様々な問題があり、そこでの撮影ができなかったんです。そこをあきらめて他の場所を探していたところ、アメリカのデトロイトで撮影ができそうなところを見つけました。デトロイトは産業がかなり廃れていて、どちらかというと「朽ち果てた町」という状態になっていたのですが、私たちのロケ地としては完璧だったんです。それだけではありません。監督の国トルコも美しい自然が溢れていますし、ドイツでも綿の栽培が行われている、作品で使えるところが多々ありました。
そういった様々な土地を組み合わせることによって、近未来的なロケーションができたのです。実景にこだわったのは、刻々と起きている気候変動や自然災害などは、実際の自然を見ることによってリアリティが増すと考えたからです。それは、スタジオで撮影したニセモノよりも多様な想像力が発揮できると信じています。

――ジャンさんはこの作品に参加してどう感じましたか?

ジャン=マルク・バール(以下、バール):これまでいろいろな作品に参加させていただいて、様々な場所に行けるというのは役者の醍醐味であると思いますが、この作品に参加できたのはとても光栄なことでした。撮影を行ったアナトリアという場所を発見できたのも幸運で、そこは「精神的な砂漠」と表現してもいいかと思うのですが、それくらい平和な場所でした。そういった自然の中で撮影していたので、私の役者としての仕事は、その場にいるだけでほぼ終わっていると感じました。とはいっても、自然の中での撮影は大変厳しいもので、精神的にも、肉体的にもブートキャンプのような撮影でした。

――監督の演出も厳しかったですか?

バール:監督は自分が何を表現したいのか、明確にイメージを持っていましたから厳しくはなかったです。とはいえ、私たちがそこになかなか到達することができないという点で、難しいことはありましたが。でも、モノクロの撮影、精神的な世界を描く昔の規律の中での撮影という手法は、私がこの仕事を始めた80年代当時のようなやり方に戻ったようなもので、監督の作品に準備ができていたと考えています。また今回は私が主演であったこともあり、いわゆる座長として他の役者と連携ができるようにしないといけない、という責任感はありました。この作品では、ボスニアやルーマニア、ロシア、様々な俳優と仕事をする機会をいただき、いろいろな国の俳優と英語を通して共演することで、いわゆるハリウッドの産業化された作品とは違ったものになるというアドバンテージを感じていたんです。また、撮影自体は2年前ですが、2年前は未来だと思っていたことが、すでに今、身の回りに来てしまっているように、そのくらい早く環境問題が私たちを取り囲もうとしているとも感じています。そのような中だからこそ、私たちは意識的に何かをしなければならない、解答を見つけなくてはならないと考えています。これはたしかに監督の作品の中では異質な意欲作ですが、人に衝撃を与えるいい機会ではないかと思います。なぜかというと、本作にはハリウッド的なエンタテインメントはないから。アンドレイ・タルコフスキー監督の影響を強く受けていることもあり、失われた文化的モラリティーが継承されているからです。そのような作品に関われることは、私にとって夢のようですよ。

国単位の“文化”ではなく、グローバルな事象で考える

――この映画に関して影響を受けた作品はありますか。たとえばディストピアを描いた映画とか。

カプランオール監督:私としてはこの作品がディストピア映画とは考えていません。というのも、ディストピアは将来に向かって考えるものであって、一方向の破壊について考えるわけではないのです。この作品は今日の破壊を説明することを大切に考えており、より近い未来を表現しています。

――現在の世界をディストピアだと感じていられていますか?

カプランオール監督:ええ。みなディストピアを体感しているのではないでしょうか。

バール:タルコフスキー監督の映画が公開された当時の人たちは、現在とは異なった姿勢で映画を見に行っていたと思います。その時は、時間、空間、色に対するアプローチの仕方が、現在よりも自由で文化的なアプローチを行っていたのではないでしょうか。しかし、現在は資本主義が“産業”を乗っ取ってしまったことで、今や映画も“産業”となってしまい、昔はなかった興行収入等によってその価値を測られるようになってしまいました。今、映画を見に来てくださる観客たちは、昔はそのようなものがなかったということを知らないため、映画にエンタテインメント性を強く求めていますよね。映画館に行くと、スーパーヒーローやアクションもののような上映のみを行っていて、文化的要素がほとんどなくなってしまったと感じます。この作品は、観た人自身が何かをしなければならないと伝えるメッセージを訴えているので、ショッキングに映るかもしれません。ですが、この作品は私たちのことを単なる観客ではなく、“人間”として扱ってくれるので、そういった文化的な要素というものが強く反映されています。

ブロケンパー:監督と私が一番最初に会ったのは、3作前の『卵』の時なのですが、その時から言葉は通じないのにも関わらず、精神的なレベルで分かりあい感動しました。それはまさに『グレイン』と同じ。こういった環境を見ていると、『グレイン』の中で描かれているようなことが今後あり得るかもしれないし、実際に起きるかもしれません。この作品を見ることで、人間というのは色々と世界がより良いものになるように考えるようになる。そしてこれが、監督の映画の中では、この作品に限らず一貫して表現されているのだと思います。なので、先ほどジャンが「観客的にはショックがあるかもしれない」と言いましたが、東京国際映画祭での上映のように上手く伝わって感動していただければ、今後私たちはどのようなことをしていけばいいのか、という問題意識を持つきっかけが作れると期待しています。

バール:今、“文化”が力を失っています。そんな中でも、ヨーロッパにはベッティーナのような素晴らしいプロデューサーがいて、“文化”を重要視し、大切にしていこうとしてくれています。それはとてもうれしいことですよね。更にここでいう“文化”というのも、例えば、フランスだけ、ドイツだけ、アメリカだけという、国単位で独立した文化ではなくなってきており、もっと広い視点で語られるグローバルな事象となってきています。それによって“文化”というのはもっと強くなれると思いますし、進化もするんだと思います。

カプランオール監督:人間の中にあるものは、それは外においてもそうであると考えています。自分の中の状況がそうであったら、世界の状況もそうなるとも考えています。つまり、人々がもっと良いものになれば、世界もまた良いものになると言えるのではないでしょうか。

(取材/構成 よしひろまさみち 日本映画ペンクラブ)
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