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2017.11.05 [インタビュー]
『ザ・ホーム 父が死んだ』は映画記者出身の監督の長編デビュー作
『ザ・ホーム―父が死んだ』
©2017 TIFF

eiga.com

東京国際映画祭公式インタビュー 2017年10月29日
ザ・ホーム―父が死んだ
アスガー・ユセフィネジャド(監督/脚本/プロデューサー)、モハデセ・ヘイラト(女優)

言葉は文化そのものであり、それが違えばアイデンティティも違ってきます

結婚して6年間、実家に戻らなかったひとり娘のサーイェが帰郷すると、父は死んでいた。ずっと身辺の世話をしてきた従弟のマジドは遺言どおり、その亡骸を大学病院に献体しようとするが…。宗教上の理由で献体を拒もうとするサーイェ、何かの秘密を嗅ぎ取っているらしく最終的には献体させたいマジド、献体を引き取りに来た大学職員のアーマーディを主要人物に繰り広げられる会話の応酬劇で、手持ちカメラが延々と人物の表情を捉えつづけていくところに、イラン映画特有の切迫した緊迫感がある。映画記者出身の監督の長編デビュー作であり、演出の際の意外な工夫ぶりからは非凡なものがうかがえる。

――本作はファジル国際映画祭でグランプリに輝き、NETPACアワードでも最優秀作品に選ばれた作品です。製作中にも手応えを感じていたのですか?

アスガー・ユセフィネジャド監督(以下、ユセフィネジャド監督): 作っている最中は一所懸命に取り組んでいるだけでなんの感情も湧きませんでしたが、完成後に映画祭で上映され、批評家や審査員が選んでくれて、ようやく満足できる気持ちになりました(笑)。
ザ・ホーム―父が死んだ

――イランで作られた初めてのトルコ語映画だそうですね。監督もそうですが、イランのトルコ語圏の方々はふつうにペルシャ語もお話になるそうですが、もしペルシャ語で作っていたら、内容的に変えなきゃ行けないところはあったのでしょうか?

ユセフィネジャド監督: ペルシャ語で撮っていたら、今回の作品にはならなかったでしょうね。なぜなら言葉というのは文化そのものであり、その言語圏の人々の心情に即したものだからです。言葉が違えば、コミュニケーションやアイデンティティも違ってきますので、もしかしたらエンディングも違っていたかもしれません。

――前半はサーイェのミステリアスな人格をめぐって展開されます。みんなから疑いの目が向けられている役ですが、モハデセさんは嫌われ役を演じてしまい、あとで非難されませんでしたか?

モハデセ・ヘイラト(以下、ヘイラト):タブリーズ(イラン北西部にあるトルコ語圏の都市。監督の製作拠点)でプレミア上映したとき、友だちや他の役者さんたちが観にきてくれて、「ひどくない、あなた? なんでそんな父親を?」と口々に言われました。もちろん冗談なんでしょうけど、もう散々でした(苦笑)。
ザ・ホーム―父が死んだ

――従弟のマジドを演じたラミン・リアズィさんは、サーイェの感情を受け止める難しい役を見事に演じていましたが、プロの俳優なのでしょうか?

ユセフィネジャド監督:ラミンの本業は大学の映画学科の教授です。舞台演出も手がけていて、舞台やテレビにも出演していますが、映画はこれが初めてです。知り合いでタブリーズに共に住んでいることから、彼に役をお願いしました。

――アーマーディという献体を撮りに来る人物も仕事熱心ですが、いかがわしいタイプですね。サーイェ、マジド、アーマーディとも油断ならない人物というふうに見ていくと、意外にも、タランティーノや北野武的な「誰も善人はいない」というキャラクター構成になっている気もするのですが?

ユセフィネジャド監督:主要人物の3人は、石頭で絶対に折れないキャラクターにしなければいけないと思っていました。ひとりひとりに確固とした理由があると示したかったのです。優柔不断そうに見えるマジドでさえ、昔、サーイェに恋していて、その思い出があるからサーイェの父親の面倒を見ていたというふうに。

撮影中、最後のシーンの脚本は俳優は知らなかった

――サーイェとマジドが部屋で会話する場面で、ようやく観客にも事態が飲み込めてきます。ここは互いに本音を明かしているようであり、心理戦を繰り広げているようでもあります。こうした展開にも近年流行のアプローチを感じたのですが。

ユセフィネジャド監督:映画記者でもあったので、もちろん私は世界の映画傾向に通暁しています。ですから、そうした傾向も当然視野に入れて展開を考えていきました。個人的に好きなのは西欧の作品ですが、いくら西欧風に構成できても、全体のトーンに合わなければ別の展開に差し替えました。ひとつのトーンを保ち、その中での緩急を心がけました。
緩急の問題があったのは、セリフの量に対応しなくてはならなかったからです。トルコ語で作ったのでイラン国内の上映にはペルシャ語字幕を付けなければならず、にもかかわらず、この作品のセリフ量は半端じゃないものです。そこで、このシーンは静かに耳を傾ける時間にしようと決めていました。さっき話した西欧映画のタッチがここではうまくはまり込みました。

――最後にサーイェの夫ナデルが登場して、すべてが観客に種明かしされます。生きることの貪欲さと、人間の愚かさが浮かび上がってくるラストシーンです。ヘイラトさんはどんなふうに受け止めましたか?

ヘイラト:プレミア上映で散々な目に遭った話の続きにもなりますが、実は種を明かせば、映画の撮影中、最後のシーンの脚本はもらっていなかったんですよ。だから私は、ずっと父が死んでしまい、遺体を渡したくない一心で泣き叫んでいたんです。そうしてラストシーンを撮る段階になって最後の部分を渡されて、自分がどういう役だったのかをようやく知った次第です。

――え、そうなんですか! それじゃあ、あの有名な『カサブランカ』と一緒ですね。あの作品も最後の部分ができていなくて、バーグマンはどうなるのかわからないまま演じていて…。

ユセフィネジャド監督:リックと一緒になるのか別れてしまうのかね。 そう、あれと同じです(笑)。

ヘイラト:最終的にこうなりますと言われて、私は思わず泣きだしてしまいました。でも演じないわけにはいかないから、もう胸のうちにさまざまな思いがこみあげてくる中で、あのラストを演じたんです。うまくできたのかわかりませんが、監督がOKを出してくれたので、ちゃんと伝えることができたと思います。ナデル役の俳優は最初から知っていましたが、自分は何も知らなかった分、感情を表現することができたのかもしれません。

――監督はこのラストにどんな思いを込めたのでしょうか?

ユセフィネジャド監督:あのラストは普通なら夫婦の会話だけでおさめず、第三者を観客の目線で登場させて判断を仰ぐべき場面です。でも実際に書いているとき、夫婦の会話だけにして、互いの言動を判断させるほうがいいと思いました。そうして、観客に自分で判断させたほうがいいのだと。この夫婦はそれまで懸命に取り組んできた所業を、ああでもないこうでもないと話している。その状況を見せれば、観客の中に嫌が応にも答えは生まれてくるだろうと考えました。

(取材・構成 赤塚成人 四月社)
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