10/29 (日)、ワールド・フォーカス 台湾電影ルネッサンス2017『フォーリー・アーティスト』の上映後、ワン・ワンロー監督、出演者のフー・ディンイーさん、プレゼンターのリ・シュンリョウさんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ワン・ワンロー監督:東京に来られて本当に夢のようです。撮影をしている時は、まさかこうして海外まで持ってこられるとは思っていませんでした。こうして東京で上映が出来るように選ばれたことは、良いものを作れば世界に出すことができると、言っていただけているようでとても嬉しいです。
フー・ディンイーさん:皆さんこんにちは。TIFFに参加できて本当に嬉しく思っております。そしてこの劇場でこれだけの方が観て下さった、楽しんで下さった、裏方の仕事を見ていただけたということでとても嬉しいです。皆様がこの映画を好きになっていただければと思います。
リ・シュンリョウさん:皆様こんにちは。台風の中ご来場くださって本当にありがとうございます。そして、いまだに信じられないような、夢の中にいるような、東京国際映画祭に招待されることは嬉しいです。これからのQ&Aセッションも皆様ぜひ楽しんでください。ありがとうございます。
Q:本日の上映が2回目ですが、反応はいかがでしたか?
ワン・ワンロー監督:最初は驚きました。この映画の中には台湾の歴史、時代的な背景とか政治的背景、台湾人でないとわかりづらいようなものがたくさんありますので、日本の方がご覧になって、果たして理解していただけるのかなと思っていました。自分も劇場で観てどうなんだろう、皆様はわかって下さっているんだろうかと思っていたんですけれども、その後、いろいろと反響を聞きまして、中には外国人として、外国人の目から台湾の歴史を見て新しい知識を得ることができたという話を聞いて、非常に意外であったと同時に、とても嬉しかったです。
Q:デジタル化に伴ってフォーリーのような効果音の技術は必要だと思われますか?それともなくなると思われますか?
フー・ディンイーさん:フォーリーという仕事は、台湾ではあまり重要視されていません。大体はコンピューターの中のアーカイブから音を使って作ればいいや、というような感じで作っておりまして、録音室の中にフォーリーのスタジオがないところがほとんどです。映画の中でも紹介されていたとおり、以前女性のアシスタントがいたのですが、彼女はフォーリーの仕事以外に、他の現場もある、残業もあるということで辞めてしまったんです。ですので、現在台湾ではプロのフォーリーを探すのはかなり難しくなっています。
ワン・ワンロー監督:今回も「悲情城市」の音楽を担当していらっしゃった、日本のS.E.N.S.という方々が音楽を使うことを許可してくださったことに、まずはお礼を申し上げたいと思います。
先ほどいただいた質問で、世界の映画が発展していくのと関係があると思います。台湾では今、映画の本数自体が非常に少ないのでフォーリーが音を作る練習をする場があまりないです。技術者というのは練習を重ねてレベルアップをしていくという機会が必要だと思うのですが、そういう機会にあまり恵まれていない現実があります。ただ世界では、昨日私『グレイン』という映画を拝見した後に監督さんとお話しする機会がありまして、色々話を聞いていますと、芸術作品ですけれどもフォーリーにかけた時間が私たちの四倍から五倍の時間だと伺いました。ですので、相当な時間をかけてフォーリー・音をつけてらっしゃるということです。
なくなっていくわけではないし、パソコンですべて音が作れるというようなことにもならないと思います。
Q:キャリアの中でどの音を作るのが一番大変でしたか。
フー・ディンイーさん:台湾で作られている映画はどれもタイプが似通っていますので、数十年やってきましたが、これが特別難しかったというものはありませんでした。
ワン・ワンロー監督:これはそれぞれの国でどういう映画を作っているかに関係があると思います。文芸作品とかラブストーリーとかが台湾では多いです。アニメとかCGはあまりないので、今までのところはそんなに難しいものにぶつからなかったのだと思います。
フー・ディンイーさん:アニメーションもやはり人間が音をつけていくんですよね。広告会社なんかはコンピューターの中に入っているアーカイブの音を使って作っていますけど、人間が音をつけることで気持ちが音に一緒に乗っかっていくとか、人間の喜怒哀楽を音で表現できると思います。
Q:プレゼンターのリ・シュンリョウさんに質問したいです。この作品をプレゼンターとして引き受けた経緯等をお教えください。
リ・シュンリョウさん:プレゼンターである私も映画について語ることができるなんて嬉しいです。監督さんと私は実は大学の演劇部の友達なのです。ただ、彼女は才能がある方だと昔から知っているので、この話がきたときに、あまり考えずにすぐ快諾しました(笑)。そのあとにこういう映画を作りますよという話を聞いたら、それは確かに素晴らしいなと思いました。音は映像に命を吹き込むことができるものなのに、音自体はそんなに注視されていない。特に台湾では、映像はきれいで音は適当に、適当という言葉は失礼かもしれませんがそれが現実です。例えば、監督さんがここにきて、上映するときに一番感動したのは、東京の映画館の音響システムがすごく良くて、台湾では汚かった音がここではすごくきれいに聞こえる。ということに、監督さんがすごく感動して、何回も言っていました。そして昨日、『グレイン』の映画の監督さんとプライベートで会って、その監督さんも、ロンドンにいたときに、映画館で音がすごく聞こえることに感心していました。映画を作る人たちは音に関して気にしています。だから、この映画を手伝うことができたのは、逆に私のほうが監督さんにお礼を言いたいくらいです。ありがとうございます。
Q:監督の経歴は?
ワン・ワンロー監督:大学では中国文学を学びました。同時にサブとして外国文学も学びました。大学の時に、クラブでリさんとご一緒していました。卒業後にイギリスに留学をして、脚本製作を勉強しました。映画の脚本ではなくて、舞台の脚本です。それで、台湾に戻って、文学科のドキュメンタリーを作っている仕事に助手として携わりました。そこで制作をしているうちに、ドキュメンタリーを撮るというのは若手の監督にとって色々なことを練習できるいい機会だと思いました。ドキュメンタリーというのはあまり資本金がなくても作れますし、いろんな状況を経験できます。また、臨機応変さを学んでいくというのにもとてもいい場でした。役者をやってみたいと思った時期もありまして、色々オーディションにもいって、カメラチェックとかもしたんですけど、私の背が高すぎて、主役の男性俳優より高くなってしまうことが多く、選ばれることはありませんでした。
Q:権利の関係で使えなかった映画はありましたか?
ワン・ワンロー監督:一番残念だったのは、『非情城市』の中の映像を使うことができなかったのがとても残念でした。ですので、当時のスチール写真しか使えなかったことがとても残念でした。まず映画があってそこに音楽なので、あまりそういった問題はなくて、映画を撮って、そのあとに音楽という風にしていきました。版権というのが非常に難しくて、日本では版権意識も含め、はっきりと確立されています。作品では映画をたくさん使いましたので、版権では苦労しました。ただ、台湾とか香港など大陸では、版権意識というものが日本ほどはっきりしていませんので、相手がいいよと言って下さったら大丈夫なんですね。ただ、私が直接その人に頼んでお願いするのと、伝手を頼ってお願いするのとでは、結果が全く違いますので、その辺でどうすれば使わせてくれるだろうかということに結構時間をかけました。
司会:最後にリさんに締めのお言葉をいただきます。
リ・シュンリョウさん:今日は本当にみなさん色々な質問をいただいて、Q&Aに雨の中ご来場いただいて本当に嬉しいです。また、東京国際映画祭に選ばれて、とても光栄でございます。これからも台湾の映画を応援してください。それでは。ありがとうございます。
司会:監督とフーさんから若い人に向けて一言あるということでございます。
フー・ディンイーさん:がんばれ。
ワン・ワンロー監督:あきらめるな。Welcome to Taiwan.