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2017.11.02 [イベントレポート]
「生きられる時間に制限があると知った時、そこから本当の人生が始まるのではないかなと思います」10/29(日):Q&A『人生なき人生』

人生なき人生

©2017 TIFF
11/2の上映時Q&Aに登壇した(左から)ジャファル・モハマディさん、カワェ・モインファル監督、ニマ・アズィミネジァドさん

 
10/29(日)、アジアの未来『人生なき人生』の上映後、カワェ・モインファル監督、プロデューサーのジャファル・モハマディさん、音楽を担当されましたニマ・アズィミネジァドさんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
カワェ・モインファル監督:皆さんこんばんは。今日はこの映画を見てくださってありがとうございます。この映画がこの映画祭、日本で上映になったことうれしく思います。
 
ジャファル・モハマディさん:自分の映画が東京国際映画祭に選ばれたこと本当にうれしいです。日本に来て優しい皆様に出会えたことが本当にうれしいです。ありがとうございます。
 
ニマ・アズィミネジァドさん:こんばんは。ようこそ。この映画を見ていただきありがとうございます。自分の作品を皆さんと一緒に観られたことをうれしく思います。日本で素敵な街、そして雨に出会えてよかったです。ありがとうございます。
 
Q:作中の楽器はイランの楽器なんでしょうか?それともクルド地方の楽器なんでしょうか?
 
ニマ・アズィミネジァドさん:サティアールが実際に演奏している楽器ですがイランの伝統的な楽器セタールといいます。セタールは3弦の楽器です。
 
Q:ニマさんはこの作品の音楽すべてを担当されているのでしょうか?
 
ニマ・アズィミネジァドさん:実際に映画の中の曲を作曲するときは映画の内容や監督の話を聞いてから作っているのですが、今回は普段から仲のいい監督が自分の未発表の曲を聴いていて、それを映画に使いたいというお話しでした。今回の曲は伝統音楽ですが普段映画音楽を作るときはいろいろなジャンルで作っています。実際に映像を見て作った音楽は最後の風景のところで、それだけは映画が完成した後で作りました。
 
Q:劇中のエピソードは、どこから発想を得るのですか?
 
カワェ・モインファル監督:この映画は自分が実際に経験した物語があって反映させました。私の父も癌でした。半年しか生きることが出来ないと聞いたとき、我々家族は父にありとあらゆる医療法を使いました。結局父は半年後に亡くなってしまいました。亡くなった後、もしかしたらその半年間は病院で治療しないで家に戻って楽しく過ごさせたほうがよかったのではないかと考えました。例えば旅をしたり、彼が行きたがっていたところに連れ出してあげればよかったのではないかと…。自分の経験からこの映画を作りました。何かの本で読んだのですが、我々は一回生まれて人生を過ごしますが、生きられる時間に制限があると知った時、そこから本当の人生が始まるのではないかなと思います。私たちはただ生きている、本当の人生の過ごし方は知らないんじゃないかなと思います。そこで、読んでいた本のセリフを入れたのです。
 
Q:英語タイトルについて?
 
カワェ・モインファル監督:「Life without Life」を選んだのは、「Life」という一つの言葉にいろいろな意味があるからです。この映画のタイトルを見ると皆さん「何だろう」と疑問を持ったりするので、それも目的の一つです。「Life」だけではなく、どうやって過ごすのかというのもまた「Life」です。この映画のポスターの最初の「Life」は黒い文字で書かれているんですよね。これは、植物とか動物とかのような「生きる」という意味なんです。2つ目の白い「Life」は、人間しかできない生き方なんです。要するに愛情を持ったりとか思いやりを持ったりとか心を表現したりとか…。それは人間にしかない「Life」なんですね。
 
Q:役者について?
 
カワェ・モインファル監督:実は、演じてくれた方々はほとんど素人の方でした。お父さん役は舞台役者で、コメディーをしていました。息子役はミュージシャンで、大学で音楽を勉強しています。初めてカメラの前に出てきた方ばかりです。友達だったり親戚も出演しています。
 
ニマ・アズィミネジァドさん:カワェ監督に音楽に詳しい方や楽器を演奏できる方をオーディションしたいと言われたとき、音楽担当の自分が作った音楽はとてもパーソナル的なもので自分なりにアレンジしていたので、他の人がその音楽をやりながら、演技をすることは無理だと思っていました。でも幸いに選んでいただいた方は両方できた。演じることが出来るし、僕が納得する音楽もやってくれたので嬉しかったです。
 
Q:監督は元々イランで助監督をされていたとお聞きしましたが、影響を受けた作家や作品があればぜひ教えてください。
 
カワェ・モインファル監督:そうですね。助監督は長くやりました。皆さんもご存じだと思いますが、イランの有名な監督モフセン・マフマルバフ、サミラ・マフマルバフ監督、バフマン・ゴバディ監督、『アフガン零年』のセディク・バルマク監督の下で、助監督をやったことがあります。いろいろな監督の現場にいて、学んだことが無意識にこの作品には出てきているかもしれないです。
それは置いておいて、影響だけではなく、自分が映画を製作するときは、最もリアルな話を創ろうと思ったのです。ただしリアルな話を創りながらも、それを信じている方がどこかでこれは映画だと思い出させるような映像を創りたいなと思っていました。また劇場から出ていく時にはすでに忘れているような映画は創りたくないと思っていました。ですから、映画が終わったところで新しい映画は感覚の中、頭や心の中で始まるようなストーリーを創りたいと思ったのです。
それは大先生である、小津安二郎監督がやったことなんです。
 
司会:この作品は世界初上映でした。まさに監督の誕生に、今日我々が立ち会ったという非常に記念すべき日です。
 
ジャファル・モハマディさん:実は監督とは友達なのです。監督が映画を創りたいと家に来たとき、その話を聞いて私はこの話の中には二つのダイヤモンドが隠れていると思ったんです。二つのダイヤモンドというのは、私たちが持っている二つの疑問の答えだったと思います。私たちには個人的な人生と、社会的な人生があるのですが、その個人的な人生の中では我々は一回しか生きないのです。その一回を大事に生きていればダイヤモンドを手に入れることができると思いました。イランに一つの話があります。ある人が病気になってもう死ぬと思った友達を、病院で見ながらずっと泣いたという話です。そして朝方になったら、泣いていた人が死んで、本当は死ぬはずの友達は生き返った。このように、私たちの人生は何が起こるかわからないので、上手く生きることは大事だと思います。二つ目のダイヤモンドというのは、会話です。この話の中では会話は一番大切なのです。私たちはやはりコミュニケーションを取るべき、会話を交わすべきだと。それを大事にしたほうが社会的にも良い人生を過ごすことができるのではないかと思っています。

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