10/28(土)、ワールド・フォーカス『怪怪怪怪物!』の上映後、ギデンズ・コー監督、女優のユージェニー・リウさんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ギデンズ・コー監督:みなさん、こんばんは。私は監督のギデンズ・コーです。
いまから7、8年前でしょうか。私はあるホラー映画を撮りました。男の子が女の子をずっと追いかけて追いかけて、結局は追いつきませんでした。今回はまたちょっと恐ろしい映画を携えてやってまいりました。ちょっと無理にしても、映画をご覧になって気に入ってくれると嬉しいと思います。
ユージェニー・リウさん:(日本語で)みなさん、こんばんは。私はユージェニーです。大きい怪物役です。今回、東京国際映画祭に参加できて本当に嬉しいです。今夜観に来てくれて、ありがとうございます。
※※※以下より映画のラストを含む核心について言及しています。作品をご覧になる前に読まれる方は、ご注意ください。※※※
Q:監督の前作をみて、また楽しい映画を見せてくれるのかなと思ったら、とんでもないもの見せられたという感じです(笑)。質問ですが、怪物が助かるというストーリーは考えなかったんでしょうか?
ギデンズ・コー監督:まず、観客からこの質問が出たことを、うれしく思います。
本当に苦労しました。邪悪というものをいかに面白く撮ることに、いろんな労力を費やして。映画を見て、笑ってしまうが笑っちゃいけないんじゃないかという気持ちにさせたいと思いました。
台湾で公開されたとき、多くの人がこの映画はあまり写実的ではないと言った一方で、多くの手紙もいただきました。手紙をくれた皆さんからは、「私たちも学校や社会でいじめられて嫌な思いをたくさんしました。だから、監督の映画は決して誇張的な描写ではないです。、映画の最後でいじめっ子に火をつけて全員殺してしまうシーンは、やりたかったことです。」という反応がありました。
我々人間は、いつも正しいことをしよう、いいことをしようと勇気を持ってやりますが、現実の中では成し遂げようとする勇気があっても、いろいろな問題に直面すると違う方向に向かってしまい、悪いことをしてしまう。そういうことがあります。
怪物について、最後にどうして自分を殺してしまうかと言いますと、朝日が昇り、光に当たると命を落としてしまうからです。2人のモンスターのうち、小さいモンスターの死はやはり太陽の光を当てられたからでした。大きいモンスターの死は光に当てられたからではなく、妹への愛のため、妹を守るろうとしたからです。
主役の男の子は、最後は(心が)崩れてしまったわけです。もともと世の中に対して信じていませんでした。しかも自分自身は勇敢ではない、正直ではない、善良の人ではないと思っていて、最後は死を選択するしかなかったのです。
クラスメイトを全員殺してからは、復讐を成し遂げたときの感情として、ある種の喜びがあるはずですが、彼の顔にはそういった喜びは全くありませんでした。世界に対して、世の中に対して、自分に対して、全てに対して完全に失望してしまったのです。これ自体は、私が撮影をしていて感じたことです。
撮影終了のときに感じたのは、映画の撮影というのは自分自身の心に潜んでいる邪悪の部分を治療してくれる力を持っているということです。映画撮影が終わると、気持ちがよくなって、世界に対してもっともっと明るくいい考えを持つようになりました。
エンディングで、主人公は世界を、そして自分をも全部壊滅させてしまいましたが、この世の中で彼にとって最も善良な女の子、教室の外にいつもしゃがんでいる女の子だけが生き延びます。
では、この役を演じた女優さんに呼び込んで、皆様にご挨拶していただきたいと思います。
コーユー・リーさん:(日本語で)皆さんこんばんは!女子生徒役のコーユー・リーと申します。皆さん、この作品を気に入ってくだされば幸いです。
Q:映画の脚本を書くときも監督するときも、散々自分の中の怪物を、自分の中の深淵を覗いたと思うのですが、完全にそれを制御できると思われますか?
ギデンズ・コー監督:例えば、具体的に言いますと、映画が始まって彼らが奉仕に行って、老人ホームで老人たちをいじめるシーンがあります。脚本を書く段階では、撮影現場に来る老人の皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。スタッフ・キャストもです。ところが、撮り始めて30分経たないうちに、どんどんどんどん老人をいじめる方法が考え出されまして…。
映画の中で、皆さんご覧になったと思うんですけれども、老人たちを担いで車椅子のレースをやらせようというシーンとか、おばあちゃんの胸を掴むシーンであるとか…。そしてあっという間に撮り終えたんですね。
その撮影現場ではいわゆる邪悪な部分、恐ろしい部分を撮るときに感じるであろうモラル的なプレッシャーというものは感じませんでした。というのは、自分が何を撮ろうとしているのか、はっきりわかっていたからです。つまり、我々クリエイターにとって、ここはとても重要なことに、単に邪悪なものを撮ろうとしているわけではなくて、むしろそれを通じて何かを表現しようと思っていたからです。
そういう意味では、制御できていたといえます。
この映画の中で、いっぱい人を殺したユージェニーさんは、実はとっても善良な人なんです。ところが、映画の中で一番悪い奴は誰も殺していません。誰かというと、学校の女性の教師です。彼女はまさに、学校の中のモンスター製造機だと思います。