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東京国際映画祭公式インタビュー 2017年11月1日
コンペティション部門『
迫り来る嵐』
ドン・ユエ(監督)、ドアン・イーホン(俳優)
1997年、中国の田舎の工場街で起きた未解決連続殺人事件。犯人が見つからないことに苛立ちを隠しきれない工場の警備員グオウェイを軸に、90年代とゼロ年代、著しい経済成長で激動する中国の庶民生活を浮き彫りにした『迫り来る嵐』。これを手がけたのは、これが長編初監督とは思えない41歳の新鋭ドン・ユエ。ドラマ「項羽と劉邦 KING’S WAR」で人気上昇中のドアン・イーホンを主演に、見事なサスペンスを描ききった。そこで監督とドアンに時代背景からくる作品への影響などを聞いた。
――あまりにもよくできていて、本作が初めての長編だとは驚きです。どういったことでこの物語を思いついたのでしょうか。
ドン・ユエ監督(以下、
ドン監督):最初にこの物語を思いついたのは、第1稿目のシノプシスを書いた2013年のことでした。それはある庶民を題材にした物語でした。それとちょうどときを同じくしてネット上である写真を見つけたんです。それは1990年代を“回顧する”というような写真でした。それにとても興味を惹かれました。そして最初に思いついていたその物語と、90年代という時代を合わせ、そこに殺人事件も組み合わせていくとういうアイデアが生まれたんです。それからさまざまな資料を収集しリサーチをしていき、今の脚本が出来ていきました。
――ほぼ全編がロケ撮影ですね。
ドン監督:最初はこの物語を中国の西北部で撮る予定でした。でも、プロデューサーに出会ったことで考えを変えました。プロデューサーの出身地である南の方、湖南省をリサーチしたんですが、そこは90年代の雰囲気をたいへん色濃く残していたんです。特に湖南省は冬場に雨が多くて、全体的に雰囲気が暗い感じなんですね。実際にロケハンをしながら脚本を調整していき、ロケ地を湖南省に変更しました。
――ロケの季節も冬でした?
ドン監督:冬が過ぎたばかりの春でした。そのため、冬の雰囲気を出すために相当製作現場は苦労しましたよ。
――この作品では、国の成長が著しいばかりに、庶民生活にまでそれが及んでいない90年代の市井の人々が描かれています。おふたりの90年代に馳せる想いはどんなものなんでしょう?
ドン監督:90年代の私は、高校~大学に通う学生でした。90年代の中国では、いろんな変化が起きたことは知っていますが、当時の私はまだ学生だったので、具体的な変化についてはよくわかっていなかったと思います。ただ、感覚としてとんでもない変化が起きているということは感じていました。しかも、少年から大人になる時期と重なるため、いわば世界を認識する時期に大変化が起きた。なのによくわからずに過ごしてしまった、という思いがあります。ですので“90年代コンプレックス”みたいなものがあるのは確実でしょうね。
ドアン・イーホン(以下、
ドアン):あのとき、やはり私も高校から大学を過ごした時期でした。1994年に大学に入学しましたが、それ以前は出身地の新疆ウイグル自治区イリ(イリ・カザフ自治州のグルジャ市)にずっといたんです。郷里は辺鄙なところで、閉鎖的な世界でした。大学に入学したことで北京に行きましたが、その当時の北京とそれ以前の北京がどうだったかを知らないので比較はできません。ただ、首都・北京という大都会に来てしまったという驚きとともに、田舎者に見られないように頑張っていたことを思い出します(笑)。監督同様、90年代の社会の激動は後から理解したことではありますが、あの当時は自分がどういう人間かっていうことに目覚める時期だったと思っています。
――ドアンさんは初長編の監督と仕事すること、そしてこの多面的な難しい役を受けた理由はどこにあったのですか。
ドアン:もちろん迷いはありましたが、私が演じたグオウェイが難しい役柄だったからではありません。むしろ役者としては、難しい人物であればあるほど興味を惹かれるところがありますからね。心配していたのは、ドン監督にとってこれが第一作だということで、いったいどういうふうに私たちに対して芝居をつけるかとか、監督の力量についてです。でも彼がこの作品にかける強い思いと高邁な精神、その素晴らしさにとても惹かれて、この役を引き受けることにしました。もちろん大正解でした。
――この作品から漂う雰囲気にはいろいろと既視感がありますが、どういった作品から影響を受けているんでしょうか?
ドン監督:実は2本の名作からかなり影響を受けています。アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(60)と、フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』(74)です。この2本にとても影響を受けまして、人間心理の変化をどういうふうに描くかというところでとても影響を受けました。
――この映画は庶民の目と殺人事件というのを通して、中国の90年代の激動と、その激動を受けて激変したゼロ年代を同時に描いています。監督とドアンさんおふたりにとっての90年代からゼロ年代の移り変わりっていうのはどういうふうに捉えていらっしゃいますか。
ドン監督:ふたつの時代を描きましたが、それはそれぞれの時代が持っている精神的な雰囲気を出したかったからです。90年代はそれまでの時代と一線を画す、新しい時代に入る年代。そしてもうひとつカギとなるのは2008年。08年の前後では全然違う中国だったといえるでしょう。このふたつは、中国にとって大きなターニングポイントであり、それがこの作品の大きな柱となりました。
ドアン:やはり、この年代はいろいろな思い出があります。作品の舞台となった97年は大学生でしたが、ちょうど香港の中国返還の年でもありました。その時のことで覚えているのは、大学で返還を記念するイベントをやったとういことです。その時はものすごく誇らしく感じました。それまでの中国人にとって香港は距離がありましたが、それが返還されるということは、ひとりの国民として誇らしく思うような気持ちがありましたね。そしてまた08年ですが、北京オリンピックの年なのでよく覚えています。仕事が終わってみんなで開幕式をビールを飲みながら見ていましたから(笑)。その時も、すごく誇りに思いました。私にとってこのふたつの時代の思い出はこれらのことですが、明らかに中国、そして中国人の激動を象徴するときだったといえるでしょう。
(取材/構成 よしひろまさみち 日本映画ペンクラブ)