10/26(木)、日本映画スプラッシュ『神と人との間』の上映後、内田英治監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細(次回上映10/31・19:30~)
内田英治監督(以下内田監督):(客席でご覧になってみて)僕もまっとうに観るのは初めてなんで、感慨深いものがありました。笑っていいのか笑っちゃいけないのか、分からない感じで(苦笑)。
映画祭って外国と日本の上映とで笑いが起きるポイントってだいたい違うんですけど、この映画が外国で上映してもらえるかわかりませんが、こういうところで笑うんだとか、新鮮なところがありました。
試写会だと、し~んとしてるんで(笑)。身内しかいないから、不安になります。(場内笑い)
司会:不安は、今日の観客の皆さんの反応で払拭されましたか?
内田監督:どうなんですかね(笑)。でも、こういうブラックコメディって日本は少ないと思うので、いいシーンな気分にどんどんなっていきましたね。
Q:質問が二つあって、一つ目は編集者さんを置いて狂言回し的に作っていったのはどういう意図なのでしょうか。二つ目は、最後にセリフを言ったところで画面が明るくなって走っていくシーンがありますが、あのセリフは誰を指しているのでしょうか。
内田監督:(谷崎潤一郎による)原案が同じタイトルであり、当然現代劇にアレンジしてあるんですけど、ストーリーラインがだいぶ違うということで(置きました)。
戸次重幸さん演じる添田は谷崎潤一郎さん本人がモデルで、渋川清彦さん演じる穂積というのは実在した佐藤さんという作家がモデルで、実際にはそのふたりの話なんです。朝子さんは奥さんですが、この三人だけだとちょっと考え方が特殊な人しかいないんで(場内笑)、ベーシックな人間がいないので、編集者を普通の現代の女の子にして人間の基礎的な役として置いてみました。
セリフのところはですね、ここで「この人だ」と言うと面白くないんで(笑)
僕は僕なりの、撮った時に考えていたキャラクターがいるんですけど。ここはまぁ是非、たぶん人それぞれだと思うんで、誰だか考えていただければなと思います。
司会:あの子の異様な明るさが、印象に残る場面ですが、あの演出はどんな風にされたんですか。
内田監督:撮影自体が大変でして、子役の女の子が思った以上に走るのが速くて(場内笑)。あの撮影現場を皆さんに見せてあげたいぐらい、大人たちがあたふたと走り回っていました(場内爆笑)。たぶん映画の中よりシュールな状況でした(笑)。
Q:内田慈さんのキャスティングの理由と実際に演出してみてどうだったかを教えてください。
内田監督:キャスティングはプロデューサーサイドと話し合いながらです。僕はキャスティングと脚本が映画の90%ぐらいを決めると思うんで、すごく大事だなと思うんです。
日本においてキャスティングってとても難しいんですね。やっぱり知名度とか政治的な部分がすごく強いんで。だいたい自分がいい役者だなと思ってる人と仕事できることってすごく少ないんです。この作品はインディーズ映画ってことで好きにやりました。渋川清彦くんや戸次重幸さんもそうですけど。
内田滋さんは一言でいうと演技が上手い。演技のうまい役者って日本にはほとんどいないので、特に内田慈さんは演技が上手いなと僕は思っているので、出演していただきました。
パワー型の役者さんが僕は好きなんです。彼女は今回、大正時代の日本人の女性像みたいなのを体現してますけど、普段はほんとうに大人しい女性なんです。けど、ボンっ!と出す、泣き崩れるところとか分かり易くて、ああいう演技がとても上手です。3人とも、戸次さんとかもそうですね、ボンっ!と瞬発力のある演技が特徴的だと。僕はそういうキラキラというよりギラギラした役者さんが好きなので。
司会:細かく雰囲気を作っていくやり方は、監督が役者さんそれぞれにどのように演出をつけていったんですか。具体的に話をして、こうしてほしいとおっしゃったんですか。
内田監督:この映画を撮るにあたって、自分の中でSMプレイだなと思って。SMだな、この映画は、と思って撮っていったんですけど。戸次さんと渋川さんという二人にはその・・・サドとマゾという、そういう人間関係。でも、そういう恋愛、そういう三角関係も実際あるわけですから。ま、実際あったわけですから、大正時代に。今の時代はこういう恋愛ってもしかしたら許されないのかもしれない、現状、今のワイドショーとか見てると。でも、こういうのも一つの形として実際あったわけですよね。
お二人にはあんまり演出というよりは、セリフがすごく長いんで、それを覚えるのがすごく大変だった、ほんとに嫌になるくらいすごく大変だったようです。あまり、こうしてくれって言う時間もなく、ちょっと放置プレイな感じでやっていただいたら、こういう感じになりました。
でもなんか、今日観たら全然違いましたね。戸次さんとかも、現場の雰囲気と全然違いました。
びっくりしましたね。最初合わないかなと思ったんですよね、渋川さんとスタイルが全然違うんで。合わないのかなと思って観てたんですけど、意外に息が合ってるなと思って、びっくりしました。
司会:大正時代に起きたことを元にされていて、当時の話を現代劇にするにあたって、気をつけられた点はありますか。
内田監督:そうですね。やはり古い小説とかでは許されたものが、今は許されないみたいな時代になってるんで、表現に気をつけなかったといえば嘘かもしれないですね。今は何をやっても問題になってしまうので。特に日本独特の文化に括られてしまうので、こういう映画は。
なんでもかんでも日本独特の文化って言われるのもなんか癪だし。そういう部分は多少気をつけたかもしれないですね。でも本題は3人のSM関係なので、あんまり撮影に入ってからは考えなくなりましたね。
Q:戸次重幸さんのラストシーンについて
内田監督:もう大変だったんですよ、あのシーンは(場内爆笑)。普通に街中でやったんで。
何時でしょうね、普通の日中の時間でしたよ。プロデューサーの顔が青ざめて(笑)。
最初は素っ裸でやろうと思ったんですけど、それはさすがに勘弁してって言われて(笑)。
大変だったんですけど、あのシーンは僕好きです。
僕は無宗教なんですけど、宗教をちょっと小ネタに挟むことが多いんです。ドアを開けたときに光が入ってくるような、外国人が好きそうな、キリスト教独特の光が差し込むというのをちょっとやりたくて。たまたま陽の光がめっちゃ出てたんでやろうと思ってやりました。
僕も今日観ていて、戸次さんが寂しい感じが出てて、個人的にも好きなシーンになりました。
悲しいから、孤独な人だから、ひとりぼっちじゃないと思うんですね。
孤独な人が、周りに人をいっぱい侍らせたり友達が多かったり、それがほんとうの友情かどうか置いていても。今回、戸次さん演じる添田は常に人が周りにワイワイいるという。しゃべり方とかも常に明るいっていうイメージでやりました。
司会:添田は参加しない、傍観しているような印象があって、少し外から見ているというのは意識されていたんですか。
内田監督:そうですね、どちらかっていうと客観的な性癖な人だと勝手に解釈して。
ま、変態ですね、完全に。
Q:穂積がずっと、家とか病院以外ではほとんど帽子をかぶってましたがあれは意図的に何か表現されているのですか?
内田監督:あれは、渋川清彦さんが「昔はみんなこうだった」と言って無理やり。小道具なんですけど。(場内爆笑)
帽子自体はこちらの小道具なんですけどね。バチンっと。昔はみんなこうだった、と。折り目がついていましたね。
彼の中で、小学生時代から使ってる帽子って言ってらっしゃいましたけど。
帽子をかぶらせたいなと思ってたんですけど、実はあれは前に撮った映画の余り物で。(場内笑)
金がないんでね、前の使いまわしという。前の映画でアントニーっていう芸人がかぶってた帽子です。
僕も全然広島カープのファンでもなんでもないっていう(笑)。
こういう人、いるじゃないですか。渋川清彦をいかにかっこ悪くするかって、全体で考えたときにこういうファッションにしました。
これから毎回使おうかな。(場内笑)
洋服の柄にも、こだわりましたね。チェックで、当然ジーパンにインするっていうのにこだわりまして。
やっぱりオタクになっちゃいけないし、秋葉原とかのね。
衣装さんに何度も、いやこのチェックの柄が違うんだよね、と言って。たぶん衣装さん的には何が違うのか、よくわからない。でも、あるんですよね絶対。こういう方が好むチェックって。
だから戸次さんはまたちょっと(違って)、音楽が好き。渋川さんはさっきも言ったような、何も考えてない服装に、って衣装さんにオーダーしました。戸次さんはリーゼントにしようとずっと思っていたので、そういうことになりました。
Q:主人公二人のウマが合ったという部分は何だったのかと監督は思われますか。
内田監督:そうですね、でも実際の人物たちもそうなんですけど、全然性格が違うんですね。僕もそうですけど、似たような人ってウマが合わないんですよ。基本的に全然自分と違うタイプの人とウマが合うと思うんで。あの二人に関して言うと、真反対の性格だったからだと思いますね。