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2017.10.30 [イベントレポート]
「テーブルが必要だったら作るしかない。共存するためには解決策を見つけなければいけない」10/27(金):Q&A『隣人たち』

隣人たち 
10/27(金)、ワールド・フォーカス『隣人たち』の上映後、監督・脚本・プロデューサーを兼ね、主演もしたツァヒ・グラッドさんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
ツァヒ・グラッド監督:こうして東京に来られた事を既に楽しんでいます。この作品では、私、一時間半ずっと喋りっぱなしでしたよね、だからこれ以上何か言うことがあるか分かりませんが、すぐ質問を受ける準備は出来ています。
 
Q:監督は兵役に就いていらっしゃって、その前後で各地を旅されていたという事でしたが、旅の経験でこの作品に活かされた事はありますか?
 
ツァヒ・グラッド監督:ありがとうございます。兵役前後に世界中を旅した事は、この作品の脚本に関しては直接的な影響は無いかもしれません。この作品のインスピレーションは、日々ユダヤ人側がどれだけアラブ人を恐れているかという事を観察して気づき、さらにそれを如何に話題にするかという事が発端となりました。
 
Q:映画で表現するのはタブー視されているような風潮はあるのでしょうか?
 
ツァヒ・グラッド監督:こういったテーマを描く事の難しさというのは特にはないと思います。ただ、この作品は非常に社会のあり方というのを、みなさんが日々どういった葛藤を抱えて生きているかという事をよく描き出しているという評判を得ていることは聞いています。
ちょっとネタばらしをすると、撮影しているのは実際に私が住んでいる家です。スタジオも私のスタジオそのままで、ふたりの子供たち、車、携帯、家の近所に軍の射撃場があるということも現実そのままです。
 
Q:ここ何年か東京国際映画祭でイスラエルから出品されるパレスチナを扱った映画、例えば『迷子の警察音楽隊』(第20回TIFFコンペグランプリ)、『ガザを飛ぶブタ』(第24回TIFFコンペ観客賞)など素晴らしい映画がつくられているのですが、イスラエルで永らくずっとパレスチナの問題を扱った映画が作られ続けられている理由はなんでしょうか?
 
ツァヒ・グラッド監督:こういった紛争・対立というのは、あまりに長い歴史・背景があるものなので、映画を何年か、何作か作ったからといって、変わるものではないかもしれません。でも、小さな変化は起きているかもしれませんね。この世の中に何か影響を及ぼしたいとしても、いろいろな力関係があり、いろいろな対話も行われている。いろいろな考えがあって…。そう一筋縄ではいかないわけですよね。ただ、こういった状況に関して、何らかの影響を与えているのでは、と思います。ただ、私がこの映画で描いているのは、パレスチナ・イスラエルの対立の状況ということではなくて、「あまりに馬鹿げている」というところまで達している状況を描きたかった。それを皆さんに提示して、再度、考えてほしかったということがあります。
 
Q:この作品は実際にイスラエルで上映されたのでしょうか?
 
ツァヒ・グラッド監督:まだ公開はされていなくて、内輪の上映や、ハイファ国際映画祭で上映され、とても良い反応を得ています。それはやはり非常に忠実にその気持ちを描いているからです。これは世界中で起きている普遍性を持った映画だと思っています。誰かに対して恐れを抱くと言うことと、人種差別的であるというのは、非常に薄い一枚の隔たりしかないのではないかと思うのです。
 
Q:作品の中でテレビ局の人に対してプレゼンをしていますが、あのプロデューサーたちの反応というのは実際の反応でしょうか?
 
ツァヒ・グラッド監督:先ほど言いましたように、この映画では現実に起きた事をかなり含んでいます。このテレビ局にプレゼンのシーンで「プライムタイムにアラブ人なんか誰が見たいんだ」というセリフがありましたが、それは正に私に対して言われたセリフです。
この作品は監督としては3作目ですが、実は私はイスラエルでは俳優として知られています。あるプロデューサーからあなたが演じるキャラクターでテレビシリーズをやるのでアイディアを出してくれないかと言われ、ある夜、思いつきました。この映画のシーンでプレゼンしたのとほとんど同じ内容をそのプロデューサーに持ち掛けたところ、非常にがっかりされました。そんなの無理だということであのようなリアクションが出てきました。
 
Q:若者が携帯電話でアラブ人の写真を撮ろうとするシーンが物凄くショッキングでした。今の若い世代とその上の世代とで更なる認識の違いがあるでしょうか?
 
ツァヒ・グラッド監督:人間は年を取ると同じ事を繰り返し、感情が更により深い所に行ってしまい、そこに定着してしまうことがあるかも知れません。つまり、段々希望を失ってしまう。若い世代に関しては違う将来、良い将来を見ることができると思うのです。
 
Q:この作品をコメディで挑戦された理由を教えてください。
 
ツァヒ・グラッド監督:シリアスになる可能性もあったかも知れないですし、エンディングも悲劇的な結末にもなり得たと思いますが、なぜそうしなかったと言うと、やはり一番わかりやすい結末というのはアラブ人の彼に何か悪いことが起こるということですが、それにしてしまうと多分、重要な、一番大事な部分というのを欠落させてしまうと思うのです。
なぜ自分の社会に焦点を当てる終わり方にしたかと言うと、非常に馬鹿げた状態をエンディングに持ってきて、正に私たちが今、にっちもさっちも行かない、はまっている状況というのを描いて、自分の手で解決したいということなんです。アラブ人がどうしたという事ではなく、自分の問題だという風に、より自分の方に引き寄せるエンディングにしたかったのです。アラブ人の彼の問題ではない。自分の事だから、アラブ人の彼がどうこうしているということより重要な事を描かなければいけなかった。
いくつかエンディングを用意していました。でも、悲劇的なエンディングは1つもありませんでした。例えば新しい内装の作業をする人が来たけれども、結局作業は全然進んでいません。つまり状況が全く進展していないという事を表しています。
実際には起用しなかったエンディングの一つのアイディアが、最後に妻と二人がキスをする、それを実際にカメラで映し、キスし終わった時に回りに誰も人がいない、そこへ新しい作業をする人がやって来るけれども、結局またやり直し、何も変わっていない、というのも一つのアイディアでした。
 
Q:本当に大事なことを伝えようと思ったらユーモアは不可欠だと思いますか?
 
ツァヒ・グラッド監督:それが本当に必要不可欠かわからないけれども、私の人生においては、また私の表現においては、ユーモアは常にあるもの、そして一番最強のコンビネーションだというのは、ユーモアがありながら心に触れる、その二つがあれば最強だと思います。
 
司会:ありがとうございます。締めの言葉をお願いします。
 
ツァヒ・グラッド監督:東京も日本も、既にこれだけ楽しんでいるので、早く次の作品を作ってまた戻って来なきゃ、と思っています。ぜひ最後にお伝えしたいなと思うのが、私は本当に10年近く、ここでプレゼンしたようなことを考えています。だから、イスラエル・パレスチナの両方に少しお金と食べ物を出してもらって、まず集まってみる。それで、和平の試みというのをやってみるのはどうかな、と、今また思ったんです。例えば子供の喧嘩でも友達でも隣人でも、何か喧嘩をしたら、対話を持つ。自分たちで解決するしか他に方法はないですよね。この映画の中で自分でも好きなセリフがあるんです。「テーブルが必要だったら作るしかない。作ればいいじゃないか」と。つまり、共存するためには解決策を見つけなければいけない。政治家、あるいは両極端な考えの人達は、結局、悪いことしかもたらしていない。多くの人の利益というのは、ずっと満たされないままなわけですよね。

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